
近隣には、総本山智積院、 三十三間堂、東福寺、御寺泉涌寺などの名所にもほど近く、京都東山の歴史と文化を感じていただける静かな地にございます。
春は桜、秋は紅葉に包まれ、季節ごとに異なる表情を見せます。




当寺は、京都・永観堂禅林寺を総本山とする、浄土宗西山禅林寺派に属する寺院です。
宗祖・法然上人のみ教えを受け継ぎ、派祖・西山証空上人の流れを汲みながら、阿弥陀さまのお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」のお念仏を大切にしています。
正法寺は、平安時代末期の永暦元年(1160年)、後白河法皇が熊野の神々を深く敬われ、その霊験を都に遷すため、熊野の神々を勧請し、新熊野神社を創建された際、その境内に建立された別当寺(神社を守護する寺)でした。
当時の熊野信仰は、都の貴族から庶民にまで広く浸透しており、後白河法皇は熊野三山への参詣を三十四度も重ねられたほど、深い信仰をお持ちでした。その熱誠により、この地に「新熊野(いまくまの)」が興され、社殿の守護と法灯を担う寺として正法寺が置かれました。
古くは神仏習合のもと、神と仏が一体として信仰され、正法寺は新熊野社の祭祀に仕える別当職として代々法務を司りました。

永暦元年(1160年)、後白河法皇により新熊野神社が創建され、その境内に別当寺として正法寺が建立されました。
鎌倉時代末期の元弘年間(1331~1334年)には、しばらく戦場となり兵火にかかりました。また、応仁の乱(1467~1477年)では堂宇が焼失し、境内は荒廃するなど、幾多の困難を経ました。
江戸時代の正保二年(1645年)に再興され、再び法灯が継承されました。以来、阿弥陀如来を本尊に、観世音菩薩・不動明王をお祀りし、地域の人々の信仰とともに歩んでまいりました。
明治初年(1868年)、神仏分離令が発せられると、正法寺は新熊野神社と分離し、仏教寺院として独立しました。以後は、浄土宗西山禅林寺派に属し、念仏の教えを広める寺として今日に至ります。
明治二十年(1886年)には大堂を再建し、昭和三十九年(1964年)には現本堂が建立されました。
令和の現在に至るまで、正法寺は平安の昔より受け継がれる熊野信仰の面影と、阿弥陀仏の慈悲の教えを今に伝え、訪れる人々に安らぎと祈りの心をもたらしています。
